どうして公務員をやめるのか、心境の変化を綴ってみよう

お題「#この1年の変化 」にのっかって書いてみる。1年どころかもっとさかのぼるけど。

 

25歳、大学院を卒業して就職、社会人1年目

およそ5年前、とある役所の建築職として入庁した。

公務員なわけだから、何か「約束された身分」になれた気がして、ほっとしたかんじがあった。就活生がとりあえず大企業を志望するように、自分では到底持つことができない「肩書き」や「大義を背負えたことによる安心感・満足感。どうもその時の自分は、そんなものを欲しがっていた。

 

それはきっと自分に能力がない不安の裏返し。大きなものの一員になれれば、なんとかごまかせるから。

さらにいうと、公務員なのに「建築職」なのも物語っている。行政職として厳しい競争に晒されたくはなく、がっつり建築業界に入りたいわけでもなく、大学で学んだことの延長で潰しが効くから。「まちをよくしたい・きれいにしたい」という、ある程度の動機はあるけれども、結局なんとか収入を得て自分も、まわりも安心させたかっただけのように思う。

 

こんな書き方したら、この5年間が邪でダメだったように聞こえるかもしれないけど、決してそうではない。むしろこの5年がなければ、今の結論には至れなかったのだから。まわりの人たちにはとても感謝している。

 

1年目の仕事自体は戸惑いと不安があったが、多様な人と接することができ、それはそれでおもしろかった。建築に関する近隣紛争を担当していたので、負の感情に晒されることが多かったが、いろんな人がいるんだなと社会勉強になった。

 

26歳、社会人2年目

1年目は勝手が分からず戸惑いが多かったけど、2年目になると余裕が出てきてできることも増えるし、少し楽しかったりしなかった?

自分はそうだった。とある業務の主担当になり、後輩も入りで、自分で裁量を持って仕事を回せることにやりがいを感じていた。自分で企画たてて、委員会運営して、イベント取り仕切って…。

けっこう残業もあって大変だったけど、あれこれ考えること自体はやりがいがあった。ただ、もう一年やりたいかと問われると思うところがあって、結局異動を選択した。

 

なぜそのときそう思ったのか。今思い返すと、ここでも現実と理想のギャップに苛まれていたように思う。「もっとこうしていきたいな」と「結局ここまでしかあがけない」との狭間で、違う職場でリセットしたいと思ったんだ。

 

27歳、初めての異動、社会人3年目

心機一転、これまでは住民相手の仕事が多かったけど、ほとんど事業者相手の職務につく。

1年目はひたすら大変だった。届出の量が尋常じゃないのに加えて、子どもの都合から時短勤務の人が多い。さらに精神的にアレで戦力にならない人もいたり。あげく同時に産休で人が抜けたり。一番苦しい時期だった。いったい何十回すき家で牛丼を買っただろうか。

 

28歳、現職場2年目、社会人4年目

この年も異動者が多く、最初の数ヶ月は相変わらず残業が多かった。しかし人自体は増えたので、次第に楽になっていく。

この年に入ってきた人たちから学ぶことが多かった。今まではただ目の前の仕事を如何にこなすかしか考えず、現状を変える努力をしていなかった。一方、新しい人たちの提案で、書類の進捗の管理方法や、窓口来客者を捌くシステムなど、新しく効率的な仕組みが導入された。

 

ここで、「自分たちの仕事は、自分たちで変えていけるんだ」と気づけたことで、徐々に仕事に対する考え方・向き合い方が変わっていく。より俯瞰的な目で仕事をみるようになった。自分ももっと効率的なやり方にできるよう、業務改善を意識するようになった。それはもちろん、あの残業まみれの日々を二度と体験したくなかったし、未来にこの職務につく人たちが、そんな思いをしなくて済むようにしたかったからだ。

ここでその裏返しに気づく。「なぜこれまでの人たちは、こんな非効率のままほったらかしてたんだ??」

 

最初は小さかった違和感が、徐々に育ち始めて、紛れもない不信感となり、とある確信へと至る。

「このままここに居続けてはダメだ。将来絶対後悔する」

この考えをはっきりと自覚させたのが、現在も世界中を蝕むコロナ禍だった。

 

29歳、現職最後の年、社会人5年目

これまで、この職場を離れるなんて考えたことがなかった。多少の不満はあれど、十分な収入はあるし、安定しているし、将来もおそらくそうだ。でも、これがダメだったんだ。気づいてしまった。この違和感、どことなくぬるい空気の正体。完全に呑まれて抜け出せなくなる前に、どうにかしなくちゃいけない。

 

コロナ禍で緊急事態宣言が出されたりで、今までの働き方は変化を余儀なくされていった。役所もご多分にもれず。積極的にリモートワークしましょうとなった。

ただ、いきなりリモートできる環境を用意できっこないのがお役所。

だって世の中の変化に疎く、周回遅れにされているのだから。対応は常に遅く、変化についていけず、今だって十分とは言い難い。それでもなかなか今のやり方を変えようとしない。なぜなのか?

 

その原因は以下の3つだと考えている。

  1. そもそも働いている人たちが安定志向だから。これは過去の自分にも当てはまる。リスクのあることを嫌う。決まり事を守るのが職責ではあるが、時代・時勢に合わせた変化は、この先絶対に必要だ。
  2. 何しようとクビにならないし、給料も変わらないから。インセンティブが働いていないのだ。実際、本当に心底どうしようもない人間が少数いる。それでいて自分たちより給料が上なのだから、やるせない。
  3. 向上しなくても生きていける。ゆえに新しい物事のキャッチアップに疎い。最新の技術はおろか、PCまわりの操作がおぼつかないことも。だから到底新しい技術なんて導入できない。

 

上に挙げた点にあてはまらない人・部署もあると思う。自分は建築職なので、あくまで自分がみた範囲でしか分からない。

ただ、公務員である以上、制約が多いのはどこに行っても同じだと考えた。

「これが使えたら便利なのに」「これがしたいのに設備が整っていない」「なんでこんな古臭いものをずっと使っているんだ」「逆になぜ、これにこんな人と予算かけてんだ」

思うことは数知れなかった。

 

公務員とはどうあるべきだろう? いろんな答えがあるが、今の自分はこう考えている。

最適化された、最先端をいく存在であるべき

 

なぜか。公務員は全体の奉仕者であり、全体に幸福をもたらすべき存在であるからだ。

それと同時に範を示すべき存在である。

国や県、市町村のトップに立って、最先端の技術を駆使しながら、全体に価値をもたらす必要がある。全体に提供する側だからこそ、もっとも効率化されている必要がある。

一方で、そもそもの担う業務が効率的でないものもある。行政の機能として、利益志向ではまかなえないサービスを提供する必要があるからだ。

ただし、そんなものでもやりようはいくらでもある。考え方次第で、一歩ずつ先へ進むことは可能だ。

 

 

それができている、あるいは取り組んでいるとは、到底思えなかったんだ。

 

 

従業員数でいえば有数の大企業だから、そう簡単にボトムアップでは変えられない。

現時点で自分のやれる精一杯のことに取り組んできた。それにも限界がある。

上に立つ人たちが舵を取ってやらないと……

そんな姿勢が全然感じられないんだ。みんな目の前のことで精一杯なのかな。でも、先を見通してやってかないと、5年後、10年後はもっと大変なことになってるよ。

 

そうして次第に違和感と不信感を募らせていくようになる。自分自身の考え方と、目指していきたい姿と、この制約の多い職場でできることとは、どうしようもなく乖離がある。

このままでは自分の成長を阻害することになるし、ここを飛び出すことを恐れていては、将来飛び出さなかったことを後悔するようになる、「そんな人生を送るのはイヤだ」とはっきり自覚したんだ。

 

結局、この職場に求めていたものは何だったのか。当初の想いを振り返ると、

  1. 肩書きと大義名分
  2. 先々までの安心感
  3. 学んできたことの延長

こうしてみると、他力本願というか、すごく受け身だ。

そもそも、建築に本気になれない人間が、建築の業界に身を置くべきではなかった。

まわりのみんなが一級建築士を話題にしている中で、どことなく居心地の悪さを感じていた。

そりゃそうだ、この業界で生きていく本気の覚悟がなかったのだから。

 

そして実際の仕事の内容も、届出とか申請とか、相手のアクションがないと何もできない。どこまでもいっても受け身。決まり事を作る側ではあるが、結局守らせる、あるいは守ってもらう側でしかない。

 

自分は働きかけていく側にまわりたい、作ったものを審査する側ではなくて、作り手側にまわりたい。

 

はっきりとした心境の変化だった。最初はおもしろがっていた仕事も、だんだんと味気なくなり、虚しいものに変わっていった。仕事は変わらないけど、自分が変わったからだ。

自分の努力・尽力によって、社会を変えていきたい。そこにやりがいを感じて生きていたいんだ。

 

だから、飛び出すことに決めた。

もうそこに、後悔も未練もない。

 

今年度いっぱいで今の職場は契約満了。有休消化を入れると、あと13日だ。

今取り組んでいる業務改善も仕上げの段に入った。最後までやり遂げて、みんなに喜んでもらえるような、遺産として残していこう。

 

この5年間、良くも悪くも多くの人をみて、接して、様々なことを感じ取ったからこそ、今の考えと決断に至ることができた。

自分と関わったすべての人に心から感謝するとともに、みんなの持てる力を存分に発揮して、より良い社会を築き上げていってほしい。

私も違う側面から、全力で取り組んでみるから。

 

最後は笑って終われますようにー